深夜の事務所そばの国道1号。 歩道沿いのお店は、左右ともに写真が白飛びするほど明るい。 |
当初は、コンビニの看板の照明も自主的に消されて、はじめは事態の重大さをひしと感じましたが、数日経つと「昔の東京はこんな感じだったなあ」と懐かしく感じるくらいになりました。
そして、いまはまたなにごともなかったように煌煌と照明が灯っています。
原発は生理的にうけつけません。
永遠に放射性物質をだし続ける廃棄物を「くさいものにはフタ」の要領で埋めてしまうなんて。
日本ならば、必ず実用に供せるクリーンエネルギーを開発できると思います。
本気になってクリーンエネルギーを開発してもらいたいと思うのと同時に、不要な、あるいはあってもなくてもいいような電気の消費についてもう一度見直し、省電をこころがけることは、私たち自身の手で次の時代を切り開く原動力になることでしょう。
夜の灯について再考できる機会として「奥多摩ナイトハイク」はいかがでしょうか。
秋の夜の山道を歩いたあとにたどり着く山小屋。
ひとと自然の橋渡しをしてくれる「必要最少限の灯」の量はいったいどれくらいなのだろうか、ということにについて、きっと身をもってお感じいただけると思います。