半日かけて地ならしからはじめて作った山道。 もちろん独力だけではありませんが、9割は自分で作りました。 上部にゆったりした美しい弧がでるようにしましたが、どうだろう。 |
歩き初めは5歳のかわいい男の子。 20年経ったら、奥さんといっしょにこの道を歩いているかもね。 |
それでも、山道を歩いていると、その道を作った人たちの工夫と尋常ではない苦労を感じることができる道があります。
たとえば、岩盤を削りだして道にしたり、桟道をつけたり。
一般のひとたちでも、少し精進をすればそうした究極の山道を体験できるのが黒部の下の廊下です。
気になるひとはぜひ調べてみてくださいね。
さて、私が先日作ったのは「はじめての木登り・ツリーハウス」の活動地での山道です。
切り倒してから5年間乾燥させた栗の木にくさびを打ち、縦に割きます。
それを階段状に並べて、杭で固定するシンプルな作り。
しかし、簡単にできてもこうして作った栗材の道は20年以上もつそうです。
20年先、もしかして亡父のように私がそれほど長生きできないとすれば、私はもうこの世にいないかも。
でも、私が作った栗の木の階段はまだまだ現役で、子どもたちが登り下りしている可能性があるわけですね。
そう考えると、土木仕事のロマンチズムというのは、確かによく理解できます。
山仕事をすると、簡単な作用・反作用の活用や、シンプルな道具の使い勝手、そして単純なようで実はさまざまな条件に左右される素材の特徴について理解を深めることができます。
山歩きでは決して得ることができない知識や智慧を授かることができることが実際に体験できて、今後の楽しみがおおいに増えました。