多摩川源流大学のスタッフさんが「食のあり方に問題意識をもっていらっしゃって、前向きな姿勢に学ぶところが多い方ですので、この機会にご紹介したいです」といって連れて行っていただきました。
ノーアポ(事前のご連絡なし)だったのですが、運よく畑仕事が一段落してお茶を召し上がりにお帰りになったところへ行きあわせました。ありがたいものです。
以下、90分にわたるNさんとの雑談のなかで印象的だったお話の抜粋です。
- 小菅村の野菜は無農薬で栽培しているところがほとんど。
- 無農薬で栽培していても、虫がついたりしない。
- 最近は蝶やトンボが激減していて、なにか自然がおかしい気がする。
- 昔は夏にしか発生しなかったブユが、この時期から現れるようになった。
- 猿が里に出てくるようになって困ったものだ。
- 鹿やイノシシも里にでてくるようになった。山に食べ物が少なくなっているのではないか。
- 先日、買ってきたジャガイモを(孫が?→失念)植えたところ、根は生えるのに芽が一向に出ない。なにかの処置をしているかと思うとおそろしいものだ。
- 同じように、大豆も買ってきたものはみんな「目なし」(ママ)。おそろしい。
- 青梅の梅林で梅に細菌がつく病気が多発。病気にかかったものは伐採するしかない。小菅村ではまだその病気がきていないが、時間の問題という気がする。
- ていねいに昔ながらの調理方法で作られた惣菜をちいさな頃から食べることはほんとうにたいせつ。
- 農家に嫁に行った娘。嫁ぎ先が野菜作りを辞めたため、最近は「おかあさん、なんでもいいから野菜があれば送って」と頼んでくる(→売っている野菜はこわくて食べられない)。
- 小菅村は、夏場はサッカーや野球の合宿でにぎわうが、昔のおかあさんは合宿中に熱心にこどもの汚れた服を洗濯していた。いまは合宿の日数分の服を山のようにもってきて、洗濯機をお使いくださいと案内しても洗濯する親御さんはいない。
- 忘れ物に無頓着。忘れ物をどなたのものですか、と尋ねても該当者がでてこない。自分がなにをもってきたかもよく把握していないようだ。
- 以前は合宿に来ているお子さんの親はいっしょに観戦してお手伝いしていたものだが、いまは温泉につかったり、一日中のんびりしていてお子さんのやっていることに興味があるようにみえない。
- バーベキューなど「手がかかる」ことをお客さんがしなくなった。「おばちゃんが焼いてくれるならばやってもいいな」という。
- 電気のつけっぱなしなどが目につく。こわくて最後のお客さんがでるまで畑にでられない。
- 孫でさえ「おばあちゃん、なんで電気を消さなくちゃいけないの? 電気はつけるためにあるんでしょう?」というようになった。
- なんでもお金で解決できるように思っているような節がある。実際、みんなお金のたいせつさを感じていないように思える。
こうしたお話を、おいし~い手作りの煮豆、シャクシ菜の漬物などをおやつにお茶をいただきながら、語り合いました。
Nおばさん、私はこういう方に共感を覚えます。
いっぽうで、こうした時代ですから、反発を感じる方もいらっしゃることでしょう。
だから、敢えてご本名と民宿名を記すのをやめました。
Nおばさんがていねいに作った料理を食べられるこの民宿を知りたい方は、お気軽に野外塾にお問い合わせくださいね。