先週末は、台風の影響でふたつの活動を中止。
この夏は、7つの活動が悪天の影響で中止となりました。
しかし、今度の台風はスピードが遅くてほんとうに脅威。
私たちが活動でお世話になった熊野や四国でもおおきな被害が出ていて、今朝もなお心配しています。
台風がこれから上陸、という状況で富士登山を中止した土曜日の朝、唯一のなぐさめは前日に手元に着いた1冊の古本でした。
山の写真家、または高山蝶研究のパイオニアとして知られた田淵行男氏の著作で、「黄色いテント」という本です。
布団のうえでひじ枕しながら、強い風が吹きつけてガラス窓が鳴るのを尻目に本のページをめくると、それはまるで「疑似山小屋状態」。
そして、めくるページからつぎつぎと出てくるお話もまた、山への想いを募らせてくれました。
田淵行男氏は、一般にとくべつ有名なひとではないかもしれませんね。
しかし、教員として生活するかたわらで山行を重ね、自然への知識欲と蒐集(しゅうしゅう)欲は傑出していました。
たとえば、鳥の羽集め。
山に行くと、鳥の羽が落ちています(いまはよっぽどでない限り、見当たらないですが)。
なかでも雷鳥は季節ごとに羽毛が生え変わるため、季節の変わりめには高山の草や枝にからまった羽毛が、注意深く見ているとかなりとれたそうです。
そうした羽毛を集めたのちに自分の寝袋の胸のあたりへと奥様に縫い込んでもらって「雷鳥といっしょに寝てるんだ」気分を山で寝るたびに味わっていました。
たとえば、山頂の石集め。
はじめて登る山頂では、その山をイメージできる適度な大きさ(だいたい数キロ程度!)の石を見つけて持って帰りました。
これがすごいもので、ほんとうにその石が、その山のミニチュアだと思えるものをちゃ〜んと集めてきているのです。
槍ヶ岳にはじめて登ったときには、重さ12キロ(!!)の石を見つけて持ち帰りましたが、さすがに友人に手伝ってもらったとか。
どういう住環境だったのかわかりませんが、いわゆるこうした「蒐集物」が所狭しと家にあったようです。
(注:現在の自然保護のためのルールとはかけ離れているところがありますが、著者もそのことについてはあとがきで記しています。)
こんな話(一般の人からすれば「逸話」)がどんどん繰り広げられるのですが、田淵氏がほんとうにすごいのは集めたあとの分類や整理です。
とくに、第三者に蒐集物を理解してもらうための記録に費やす熱意は常人の域を脱しているといえます。
自然への人並みはずれた知識欲と整理・記録の習慣が45歳のときに見いだされて、その後は30冊あまりの著作や没後の記念館設立などにつながっていきます(2009年に記念館を訪問したときの日記はこちら)。
こんな田淵氏が、著作のなかで「みちくさの山」という表現をされていました。
昨今、自然は「単にスポーツをするフィールド」として見られがちだと感じることが多くなりましたが、ゆっくりと足許の自然を楽しむ、という姿勢にはフレッシュなヒントが含まれていると思えます。
「なんでも持って帰っていい」といわれたら、あなたは山からなにを持って帰りますか?