今年のゴールデン・ウィークも、昨年と同様に緊急事態宣言下でした。
しかし、私の気持ちは、昨年のGWとは異なりました。
昨年は未知のウイルスを恐れて雌伏しましたが、今年は昨年の感染予防経験から「相当有効な」対策がわかったのだから、適切に対策をして今こそ行うべきことをやろう、と。
そのこととは… 「大震災から10年経った東北の実情を自分の目で確かめに行く」ことです。
過去に、経験者とともに下見なしでぶっつけ本番に実施するキャンプがいくつかありました。
それと同じ方法で、宮城県気仙沼市から福島県双葉町へと南下しながら、参加者が予め訪問希望を提出した震災遺構や自然を訪ねるキャンプでした。
過去に野外塾でキャンプをしていただいたご家族のうち、小学5年生以上のお子さんがいる25ご家族にご案内したところ5名様のお申込があり、2名のサポーターとともに5/1、出発当日を迎えたのですが…
その夜のバスで出発するための準備をしていた10:30、金華山沖でマグニチュード6.8の地震が発生。東北方面への新幹線も上下線で夕方まで不通になる大きな地震でした。
1週間程度は同規模の地震に注意、という気象庁のコメントを鑑みて、午後にこのキャンプを中止すべきと判断しました。
キャンプを中止したいという私の連絡にお申込いただいたみなさんも驚いていましたが
「東北の実情を理解するためのキャンプで、万一私たちが現地で地震に遭って避難所を利用することになったら、地元の方々には地震だけでなくコロナ感染の心配もさせる恐れがある」
という説明でご理解をいただけました。
しかし、この中止でお申込者の日程には大穴が開くため、急ぎ代案を提案する必要が生じました。
自分なりの代案設定条件は
・万一大きな地震が起きた時に備えて活動地は関東近辺。
・防災意識を持ってキャンプにお申込くださったことを考慮。
のふたつ。温めていた計画のうちこの条件に合うものとして…
天明年間、浅間山の大噴火で発生した砕石流が襲った群馬県の鎌原村、その勢いで泥流となった吾妻川によって大きな被害が出た川原湯温泉地域を、災害の大元となった浅間山登山と併せてたどるルートを急ぎ作成・提案したところ、4名様のお申込継続となり、5/3朝に出発しました。
代替プランとなったこのキャンプも、サイクリングや…
人が少ないルートでの登山(警戒レベルに合わせて火口2km範囲外までの浅間山)や…
公共交通が少ないエリアでは積極的に徒歩移動するという従来の移動方法を踏襲しながら…
今回はいままで以上に積極的にスマートフォンを活用しました。
いまや安宿を探して予約するのにも、スマホを使うほうが電話よりも安いというご時世ですので、スマホは節約旅のパートナーとして今後は使いこなす必要があります。
なによりも地図GPS連携アプリはとても便利で、今回のご参加者もその便利さに感心していました。
浅間山に登りはじめてすぐの荒れた林の中に、登山に不要な重いキャンプ道具をデポ(一時的にどこかに預けたり、隠したりしていくこと)していったのですが、その地点を地図GPS連携アプリにマークしておけば、登山道から見つかりにくいようにカモフラージュをほどこしていても間違いなく帰途に発見できます。
また、ショートカットしたあとに
「ここは帰ってきたときに見逃しやすいポイントだな…」
と思ったらそこもマークしておく。
こうしたひと操作で、安全に時間の節約ができます。
東北を訪ねられなかったのはとても心残りでしたが…
こうした機会でもなければご参加者とともに訪ねられなかった旧鎌原村は、「日本のポンペイ」とも呼ばれています。
その呼び名の理由は、1783年(天明3年)8月5日午前10時過ぎ、浅間山の噴火が引き起こした砕石流で村そのものが一瞬にして6mも埋まったため。
上の写真は村の高台にあったためにここに逃れた多くの村民が助かった鎌原観音堂の階段です。
赤い橋の下には、今ある階段の続きが35段(もともとの石段は50段)もあったのですが砕石流であっという間に埋まりました。
1979年の発掘調査では、埋没していた階段の途中でふたりの遺骨がみつかりました。
頭骨からの復元像と遺骨が折り重なるようすから、老母を背負った女性が逃げてきて、あと少しで助かる間際で砕石流に飲み込まれたと考えられています。
鎌原村を飲み込んだ砕石流はそのまま吾妻川に流れ込んで大泥流を引き起こしました。
吾妻渓谷沿いや合流した利根川流域の村々に被害を出し、利根川が太平洋に注ぐ銚子でもご遺体があがったそうです。
さらには吹き上がった火山灰で日照時間が減り、悲惨な
天明の大飢饉が長期化した要因のひとつにもなりました。
火山といえば溶岩流や噴石、噴出したガスや火山灰による被害をまず考えますが、天明の大噴火ではむしろ泥流やその後の日照時間の減少など、副次的な要因がさらなる大被害をもたらした事実を知ることができました。
それでも今なお浅間山は雄大で魅力にあふれていますし、関東人の私としては浅間山を遠望すると旅愁に駆られます。
自然と人の関わりにおいては、恩恵と災害という二面性があることをつい忘れがちですが、私たちは日常で災害というマイナス面にも備えておく必要があります。
緊急事態宣言の下で、感染予防に努めながらご一緒してくださったみなさま、そして一緒にサポートしてくれた社会人のF君、本当にありがとうございました。
東北を訪ねるキャンプの発案も、F君との雑談のなかから生まれました。
なんとか近いうちに、今回訪ねられなかったところをあらためて訪ねる機会を作りたいと考えております。